添付文書との乖離
キーワード
薬、添付文書、適用外、適応外、使用、投与、ジブカイン訴訟、最高裁判所、判例、橋本文書
この現象は、自然科学と社会制度の乖離とするべきであろうか。医薬品を、その添付文書では許容されない使い方で投与することを必要とする場合が、日常の診療では経験される。
医薬品によって引き起こされる有害事象の責任を、医師だけではなく、製薬会社にも求める。これはサリドマイド、非加熱血液製剤などの不幸な経験が大きかったことがあろう。製造物責任の考え方とも相まって、製薬会社は、どんな小さなリスクもその添付文書に記載せざるを得ず、また、国民もそれを望むし、医師もそれを望まざるを得ない。
ところが、その薬の添付文書を見ると、どんな薬も人に飲ませることがためらわれるような記載になっている。本来、副作用の無い薬など無い訳だが、しかし、人々は添付文書には薬の効果とリスクと適切な使用法が書いてあって、その通りにしていれば副作用などほとんど無かろうなどと、いわば幻想を抱く。これは無理もないことである。
製薬会社は、薬の内在するリスクのほとんどすべてを処方する医師に転嫁した。さて、医師はどうするべきであろうか。当然、効果とリスク、必要性を考慮し、これまでの医学の知見に基づき、薬を処方する。添付文書に則って、適用通りの薬の使い方をするだけでも、今では当たり前のことだが、インフォームドコンセントが必須である。細々とした、また山のような副作用が書かれた添付文書を前にしてである。
添付文書は医学の知見の集大成であるのだが、その内容が意図する方向は社会制度の要請に基づいていて、医学的なのに、医学の実践の足かせのように感じる要素を含んでいる。まずこの段階で、自然科学である医学と、社会制度からの要請で出来上がった薬の添付文書との間には溝がある。
添付文書に基づいた薬の処方を厳密に実行しようとすれば、生命保険の約款のような添付文書とインフォームドコンセントの説明書きが書かれた契約書にサインして、はじめてビタミン剤が飲める、などということになる訳だが、現実の社会で実行するときには、それなりの曖昧な了解事項として、医師は患者に薬を処方している。また患者もその曖昧さを受け入れないと、医療を受けることができないだろう。
この溝、この曖昧さは、医師にとって社会制度から付け込まれる隙、平たく言えば訴訟リスクとなる。
その上に、薬の適応外使用がある。
薬の添付文書そのものは、法制度上の曖昧さを極力排したものであり、医療の現場では適度に曖昧な了解をもって薬が使われているというものである。薬の適用外使用は、それとはかけ離れて、医学的な要請によって社会制度と医学の間にある溝を拡げる、医学が社会制度から遠のくようにせざるを得ない行為と言える。
過去において、薬の適応外使用と添付文書の関係は、今よりも曖昧なものだった。その一端をいわゆる橋本文書に見ることができる。
---------- 以下引用 ----------
橋本文書
http://hcoa.jp/health_profession/index.php?処方と医師の裁量
日医発第 211 号への厚生大臣の回答
昭和 54 年 8 月 29 日
日本医師会長 武見太郎殿
厚生大臣 橋本龍太郎
8 月 21 日付の貴翰に次のとおり回答いたします。
薬効表示について、医学と医師の立場が全く無視され、製薬企業の資料のみによる病名決定で用途が規定されることは誤りでありました。厚生大臣としては、薬理作用を重視するものであり、能書については、薬理作用の記載内容を充実する方向で改善するよう、薬務局に対し指示いたしました。従って、医師の処方は薬理作用に基づいて行われる事になります。
社会保険診療報酬支払基金においても、これを受けて学術上誤りなきを期して、審査の一層の適正化を図ることとし、また、この点について、都道府県間のアンバランスを生じないように、保険局に対し指示いたしました。
以上により、医師の処方権の確立が保障されるものと考えます。
国民医療の効率化を図るためには、プライマリー・ケアの確立等地域医療の充実が必要であり、また、これとともに、医学常識から極端にはずれた診療等に対して、その是正を強力に進めてまいる所存であります。
---------- 以上引用 ----------
この医師が薬理作用に基づいて薬を処方する権利というものと異なる次元のものだが、薬の添付文書を最大限に重要視したものがジブカイン訴訟最高裁判決である。
---------- 以下引用 ----------
Nikkei Medical ONLINE for doctors
2006.5.2 ケースに学ぶトラブル対策講座 連載第 5 回 添付文書に従わない薬の投与は“医療慣行”
http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/series/hdla/200605/500364.html
「医薬品の添付文書(能書)の記載事項は、当該医薬品の危険性(副作用等)につき、最も高度な情報を有している製造業者又は輸入販売業者が、投与を受ける患者の安全を確保するために、これを使用する医師等に対して必要な情報を提供する目的で記載するものである」
「医師の注意義務の基準となる医療水準は、平均的医師が現に行っている“医療慣行”とは必ずしも一致するものではなく、医師が医療慣行に従った医療行為を行ったからといって、医療水準に従った注意義務を尽くしたと直ちにいうことはできない」
---------- 以上引用 ----------
普遍的な医療水準、個々の事例で求められる医療水準、この両方を満たしていることが医療には求められている。添付文書は最も高度な情報でもってそれら双方の医療水準を示しているものと言える。
添付文書から外れた薬の使い方は、平均的な医師が普遍的な医療水準として行っていて、しかも個々の事例で適切な医療水準を満たしているような使い方でないといけない訳だ。身近な例として、非ステロイド性消炎鎮痛剤投与に胃薬を併用するという事例がある。
最近目にしたこういう事例はどう捉えればよいのだろうか。
---------- 以下引用 ----------
【日経メディカル5月号特集連動企画◆処方のご法度 Vol.1】
本当にご法度?「緑内障患者に抗コリン薬」
意外に多い投与可能例、まずは眼科医に相談を
http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/report/200705/503193.html
緑内障を合併した過活動膀胱患者に遭遇した際、「『緑内障なら抗コリン薬は禁忌』という考えで抗コリン薬を控えてしまう医師が少なくない」
.....
隅角の閉塞がない開放隅角緑内障や、閉塞隅角緑内障でも既にレーザー虹彩切開術などの手術を受けている患者では、抗コリン薬の投与で隅角が閉塞しても眼圧上昇が起こるリスクはないため、禁忌ではないのだ。
.....
抗コリン作用のある薬剤の添付文書では、閉塞・開放の区別なく、緑内障の患者すべてが禁忌の対象となっているのだ。
---------- 以上引用 ----------
開放隅角緑内障をもつ過活動性膀胱の患者を前にした泌尿器科医、泌尿器科医からコンサルトを受けた眼科医は、どうするべきだろうか。リスクはゼロではないし、添付文書には禁忌と書いてある。
これが医学と社会制度との乖離である。
充分なインフォームドコンセント、建前のように唱えてみても、いざ有害事象が起こったら、社会制度はこの乖離を突いてくる。
対策を簡単な方から考えるなら、次のようになるだろうか。
1. 処方しない ( 医学を添付文書に近づける )。
2. 添付文書を医学に近づける努力をする。
3. 社会制度がこの乖離を突くことが無いように、法的な免責を医学に与える。
添付文書を医学に近づける努力は、いわば行政的な取り組みである。厚生労働省や製薬会社に動いて頂かないと、医師がいくら叫んでもダメである。医師の努力が足りないなどと批判するのは簡単だが、添付文書を書き換えさせるのに必要な物事を考えて頂きたい。たとえ学会が声明を出したところで厚生労働省は動こうとしないだろう。
臨床試験を行う、市販後調査として安全性の再審査をする、開発後の年月がたった古い薬では薬価が低く、製薬会社は、費用対効果から、こういうことはしようとしない。厚生労働省を動かすには政治家の力か、社会現象になるような患者国民の多数の声が必要だ。あるいは眼内レンズの健保収載の時のように、時の大臣が開放隅角緑内障で過活動性膀胱による尿失禁で国会答弁にも立てず、それをバップフォーかなにかで治療したらよくなった、ということが無ければ、なかなか行政府は動かない。
法的な免責は、日本に善きサマリア人の法という考え方が受け入れられにくいのと同じように、無理というべきである。国民が医学を信頼する土壌と法律、文化の醸成を待たなければならないだろう。それは永遠に訪れることが無い未来に思える。
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以下、参考資料
添付文書との乖離資料 http://sword.txt-nifty.com/library/2007/05/post_21a2.html
道標主人 | 2007-05-16 22:39 | JBM・医事法制, 医療、社会保障, 医療崩壊 | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (1) | Top
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