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2007年5月23日 (水)

添付文書との乖離 3

キーワード
医療裁判、医事紛争、医事訴訟、医療訴訟、薬、薬剤、添付文書、PL法、製造物責任法、医療水準、医療慣行、注意義務、過失

2000 年の週刊医学界新聞での記事を参照する。医療者と法律家の間でこのような前向きな議論がなされていたようだ。医療と法律が協力して人々の生命、健康、福祉のために機能するというあるべき望ましい方向。それが今では、まったく異なる方へ来てしまったようだ。

週刊医学界新聞第 2405 号での藤村啓東京地方裁判所裁判官のコメントを見てみる。

---------- 以下引用 ----------

週刊医学界新聞 第 2405 号 2000年9月25日 〔座談会〕 医事訴訟の動向をめぐって
http://www.igaku-shoin.co.jp/nwsppr/n2000dir/n2405dir/n2405_01.htm
藤村啓氏(東京地方裁判所民事25部部総括裁判官)
古川俊治氏(慶應義塾大学外科・TMI総合法律事務所=司会)
宮崎東洋氏(順天堂大学麻酔科教授)

藤村
最高裁判決の言う医療水準とは,その中身が実際には難しく定かではありませんが,例えば「全国一律のものではない」とした判例(最高裁第二小法廷平成7年6月23日判決・民集49巻6号1499頁)があります。分野ごと,地域ごとに異なるものというのが基本的な考え方です。例えば,へき地の医療機関で事故が起きた場合,都会であれば起きなかった類のものであったとしても,都会の医療水準またはそれを少しだけ下げたような水準を要求して責任と損害賠償を負わせるとなると,へき地の医療機関はもうやっていけなくなりますし,そうなれば地域に医療機関がなくなってしまいます。法規範とは現実的なものでなければいけませんから,そのような判断は明らかにおかしいと私は思います。
.....
漠とした言い方ですが,裁判制度,司法制度は国,社会の統治の手段であって,それ以上でもそれ以下でもありません。したがって,裁判制度はそれに応えるように機能しなくてはいけません。医療過誤訴訟の問題であれば,そこで判断される内容が,医療現場に行為規範として妥当するものでなければいけません。そのためには内容に妥当性が求められるのはもちろんですが,タイムリーな判断でなければいけないのです。宮崎先生がおっしゃるように迅速に,的確な判断が必要です。そのためには,裁判所も努力すべきであり,裁判官が鑑定等に至る前に注意義務の措定など争点を弁論で整理しなければいけません。
それと同時に,必要な専門的知識を医療側から提供してもらわなければいけません。それを医療機関側に切に期待したいのです。要するに,統治の手段ということからすると,医療訴訟に限れば,その判断の結果が医療技術のみならず費用負担の点も含めて,すべからく望ましい医療環境が確立されることに還元されていかなければ意味がありません。医師のプライドや,病院の経営などの問題はあるにしても,よりよい明日の医療環境を確立するという心意気みたいなものを持っていただきたいし,裁判官も同じように努力しなければならないのです。

---------- 以上引用 ----------

A 型の血液と B 型の血液が混じったら AB 型を呈するなどというような判決 ( これは刑事事件だが ) が医療に適用されないことを願う。
» ガリレオ裁判

もう一つ、実際の医療の現場にとって従うことが困難な規範を示されても、それは規範として機能せず、それを回避しようとする結果だけになってしまう。
» 新宮心筋炎事件

医事紛争の裁判でも、もっと広く法律や社会制度を医学に適用する場合にも、個々の事例と、そこからさらに医療の制度全般までを見渡した判断を望みたい。

添付文書について、簡略なまとめがあった。参照しておく。

---------- 以下引用 ----------

添付文書を甘く見るな!
http://www.sam.hi-ho.ne.jp/tootake/zyouhou.htm#dok6

医師は添付文書を読まない、あるいは軽視する傾向にあるとよく言われます。しかし、医療事故が起きると、最初に裁判で検討するのは添付文書です。
昔の添付文書の半分は宣伝文句といったものも多かったのですが、現在はそういう時代ではありません。ましてPL法施行以来、添付文書は改正されたので、事故の際に添付文書を見ても、表示欠陥は発見されないわけです。
欠陥が無ければ、PL法の責任も民法の責任もメーカー側にはありません。けれども事故は起きたのだから、今度は医師が添付文書をよく読まなかったということが浮き彫りになります。
皮肉なことに、PL法が導入した責任に関し、実は製薬企業はほとんど対策を講じてしまい、第2次的というか、その波及効果として、重い責任が医師に及んでいるのが現状です。更に悪いことには、医師がそのような変化を理解していないのが現状だと思われます。
責任論、すなわち「医者は、そこまで責任は持てない」という点から批判が多く出ていますが、実際に事故が起こった場合、医師が責任を取らされる時代になってしまっているのです。
添付文書に書かれている限り、責任は医療現場(医師、薬剤師)にある!というのが現状となってしまったのです。一度下された裁判事例は前例となり、その後の裁判に大きな影響を与えます。
添付文書は、今や法律とさえ言えるのです。

---------- 以上引用 ----------

現場に適用できない法律という訳である。医師は、添付文書の全てを患者に説明することは、机上では可能である。業務の中でそれに割く時間があれば。生理学、生化学、薬理学の講義から、内科学、小児科学などまで、説明することは不可能ではないが、現実的ではない。

患者はそれら医学部の講義と実習数十時間分の知識以上のものを理解し、自己決定権を行使することも、それを理解して行使し、さらには自己責任であることまで理解して、やっと鎮痛剤を一粒飲む ..... 非現実的である。

これまでの法律、社会制度では対応できない現実が、先に進んでしまっていると思える。

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過去記事、参考資料

添付文書との乖離 2 http://sword.txt-nifty.com/guideboard/2007/05/2_3c0c.html
添付文書との乖離 http://sword.txt-nifty.com/guideboard/2007/05/post_f8cf.html

添付文書との乖離資料 2 http://sword.txt-nifty.com/library/2007/05/2_1db3.html
添付文書との乖離資料 http://sword.txt-nifty.com/library/2007/05/post_21a2.html

道標主人 | 2007-05-23 23:54 | JBM・医事法制, 医療、社会保障, 医療崩壊, 裁判、司法 | | コメント (0) | トラックバック (0) | Top

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