折れそうな心を踏みつける
..... そして折ってしまうのだ。
ここでは、キーワードを記さない。事情をご存知の方がお読みになれば、どの病院のどの医師のことか、インターネット上のどの情報に対するコメントかがお分かり頂けるだろう。
私のメモとして、こういう事例があるのだということを書き留めておく。
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日本の中部、四方を山に囲まれた県のとある小さい市の病院は、地域医療、緩和医療などでの先駆的な働きで、全国に名を知られていた。カリスマ的な一人の医師の名声が鳴り響く、その足許を固めていた中の一人に、日夜一人で奮闘する医師がいた。
理解の乏しい病院幹部、現場の要求についていけないスタッフ。頭を押さえつけられ、足を引っ張られ、一人で切り盛りしていくのにも限界があった。
こういう状況の過酷さはよく分かる。一人医長とは、1 年 365 日、全患者の責任を負わされるのだ。私生活まで犠牲にされる。理解のない病院幹部への不満はやがて絶望に変わる。
心が疲れてくる。気力が湧かなくなる。限界に達する直前の心境、それは " 辞めたい " なのだ。
その状況を訴え心境を正直に出せないまま、現場を去る医師が多い。この病院の一人医長の医師は、幸いなのであろうか、それをブログに綴ることができた。これほどの医師がブログで心情を吐露するまで追いつめられていようとは。多くの医師がその心を理解し、共感することができた。医師以外の方、患者さんと思われる方は、理解できないまでも、同情することができた。
こういうときに必ず現れるタイプの人がいる。そういう人たちは、広く世間にも、自分が所属している組織の中にもいる。攻撃したり、忠告めいた脅しをかけたりする。追いつめられた心をさらに叩く行為。
この病院のこの医師は、少し落ち着いたように拝察するが、これから先、以前と同じモチベーションを持って働けるだろうか。
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私なら辞めている。多分、何も言わずに。というか、私自身がそうだった。一人で悪戦苦闘していた。出る杭は打たれるどころか、抜いて投げ捨てられるような仕打ちだった。私は何かを口にする気力も失っていた。外に向かっては何も言わずに辞めた。そこで私が直面させられたいくつかの事態、それら大切なことは心にしまってある。後に院長となる当時の副院長の顔を紅潮させ体を震えさせるくらいのことはあったが。医長とはいえ、医師一人が辞めるくらい、その頃の病院にとっては何の痛痒も感じないものだった。スタッフも医師の異動転勤には慣れたもの。担当する病棟の婦長 ( 当時の呼称、今では師長 ) が残念がってくれたのがせめてもの救いだった。
今では辞めようとしたら、脅しすかし慰留、さまざまなことが経験できるだろう。いや、極力労働基準法や地方公務員法などを遵守して勤務できるように努力していたかも知れない。チャレンジする先端医療を捨てて、安全な後進医療を実践していたかも知れない。
辞めると決心した日の空は明るく、心が軽くなっていた。
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道標主人 | 2007-03-18 19:55 | 医療、社会保障 | 固定リンク | コメント (4) | トラックバック (0) | Top
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コメント
N県の方でしょうか?
小生は恥ずかしながら知らなかったのですが、トップの方はその方面で有名人とのことですが、それを支えて、と言うか本来は
その名声はその一人で奮闘された先生のものであるべきと思いました。
トップの方はその先生の動きやすいように守ってあげて当然と思います。よしんば、諸般の事情により直接的なことはできなくとも、
足を引っ張ることはしちゃいけませんよ。
その先生は現場で診ている患者さんのために仕事を続けられていらっしゃるようですが、稀有な才能を使い捨てにさせられているようで、
そちらの患者さんには気の毒ですが、よそに行けばもっと多くの患者が救われるのでは・・・と思ってしまいました。
投稿 通りすがり | 2007/03/21 4:06:08
通りすがり様
こんにちは、コメント有り難うございます。
こういう事態になった時、後から撃たれるようなことが必ず起こります。辞めたいと思った人の背中を押してくれることも多いでしょう。
件の医師は、まだ踏みとどまる勇気が残っていらっしゃる様ですが、見も知らない赤の他人で遠方からではありますが、心配しています。
投稿 道標主人 | 2007/03/21 18:06:38
あちらでコメントしようか随分迷いましたが、油を注ぐ真似はしたくなかったので、こちらにコメントさせて戴きます。
概ね患者が傷付くのは‘忙しい’という実態ではなく、医療側の狭量さであると思っています。実際に患児であった息子も患者家族である私も、医学には感謝するが医療には感謝しないという状況が生まれました。何故そう思うのか、息子が亡くなった後もつらつら考える毎日ですが、患者のブログ、医師のブログから得られるヒントは大きいものがあります。
私は患者側ですが該当ブログへは同情よりも共感する方が多かった。枕元の携帯の話からは、毎日必ず、時にはTシャツ姿で息子の病室まで足を運んで戴いた担当医師をあらためて思い出させて貰いましたし、経験豊富な看護師を「宝」と呼んだ医師の気持ちはそのまま私の心に染み込んで来ました。医療には感謝しない、と申しましたが、個々の医師、看護師には感謝の気持ちを持っています。医療というサイクルには感謝がとても大事な要素です。
DRさんのコメントは正に御自身の器量の狭さを具現しており、この様な方から出る言葉は患者のみならず同僚の方々も傷付け、御自身さえ傷付くのではと思えます。あのヒステリックな物の捉え方には息子の入院時を思い起し、嫌な気持ちになります。幼稚な采配は常に物事を大きく揺さぶり、狂わせる。
病院というシステムに関して、この点、単純に人員を増やしただけでは上手く行かないのでは。息子入院時、何名かの看護師は社会に出た後、あらためて看護学校に入り資格を取得した方達で、ストレートに看護師になった方達とはあきらかに違うものを持っていました。上手く表現出来ませんが、一般の生活感覚を持っている、とでも申しましょうか。だから入院においても自宅同様の感覚を大切にして戴けました。これは私らにとっては宝でした。しかしストレート看護師の多くの方々はそうはいかない。そしてそのまま成長してしまう。患者からはそう見えていました。
鎌田先生の著作からは夢の様な医療が読み取れます。医療は満足するものと考えてもおかしくなさそうです。ですが携わっている方々が犠牲になってしまう様ではいただけない。全体、何が悪くて、どの様にすれば良いのか。
医師が一人というのは絶対的に話しになりません。いろいろ考えさせられました。あのブログにもこのブログにも感謝致します。あちこち脱線失礼いたしました。
投稿 白神 | 2007/03/23 14:50:11
白神様
こんにちは、コメント有り難うございます。
医療の現場では、年々、余裕というものが無くなっています。
時間も、労力も、人の心までもが失われていきつつあるのです。
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どうすればよいか、なかなかその処方箋は難しいのですが、
ヒントは、当ブログ内でも、他の多くの医師のブログなどでも
示されているでしょう。
件の病院では、緩和ケア病等の医師を増員することが
まず最初に必要なのではと思いますが、
今の日本では不可能に近いでしょう。
投稿 道標主人 | 2007/03/24 16:06:29