« ドイツの医療倫理 | トップページ | リンク集 20061101 »

2006年10月31日 (火)

心ある人 6

キーワード
医療崩壊、医師会、自律、自浄、自治、最高裁判所、科学技術文明研究所、米本昌平

米本昌平科学技術文明研究所所長の論説を注視しよう。医師、医師集団のあるべき姿について、貴重な指針を示して下さっている。

専門分野での様々な価値判断や品質管理は、その専門分野の専門家集団 ( 職能集団 ) が行うのが最も適している。

たとえば、航空機パイロットの腕前の評価を、航空機を操縦した事がない、ましてや航空機の構造や航空機工学、気象学などの知識が全くない人が評価し、そのパイロットの適正を判断しようとすれば、それは危険でかつ無駄の多い努力となるであろう。外部の、第三者の目は必要だが、それだけでは適切ではない。現在、医師を評価する流れは、外部からの、第三者からの批判、指弾が拡大する方向である。これは医学医療をゆがめやしないだろうか。

その専門家集団に求められる資質のキーワードは、自治、自律、自浄。これを実現している代表的な集団が弁護士だ。弁護士以外の事務系士業は、自ら会員の行政上の処分はできないが、強制加入の会を組織していて、除名処分という手段を持ち、自治、自律、自浄の機能を持っている。

医師は、そういう自ら組織を組織しようとする歴史、文化を持ってこなかった。

-----

終戦前の一時、当時の大日本医師会が強制加入制をとったが、戦時の国家統制の一環であり、職能集団の自治とはまったく異なる。

-----

本論とは関係ないが、開業医に対する理解がわずかに不足していらっしゃるのは、小松秀樹先生、本田宏先生もそうだが、これは開業医の一部を見て全体を判断する際の誤謬があるからなのだろう。

-----

毎日新聞 時代の風 2004.4.18
医師集団の機能強化 - 相互監視・評価が不可欠
医師は愚者の体にメスを入れても傷害罪に間われない。また普通の国であれぱ、医師の場合も強制参加の身分組織が存在する。こんな特権がある理由は、人の救命や保健という社会的価値の実現を専権的に託された職能集団だからである。ところがなぜか日本の医師法には医師会の規定がなく、日本医師会は任意参加の社団法人でしかない。だから社会の側が、日本医師会に医療倫理の強化を求めても、強制カがないから対応が精神論に流れがちである。
.....
最終的にはって医師法を改正し、強制参加の身分組織を創って職能自治を実現させるべきなのだが、これほど大きな法改正は容易ではない。自治のためのコストも大きなものになるはずだし、医学界はその経験に乏しい。それに法律がなければ前に進めないわけでもない。法的拘束力がない組織が統治機能を獲得する有力な手段は、重要課題について時を置かずに調査し、結果を公表することである。
本来、医療職能集団による自治機能の主眼は、医療の品質管理を専門家自らが行う点にある。現業である医療では、同じ患者は二人といない。だからこそ職能集団として、技術とその結果の双方の不確実性を管理し、バラツキが許容範囲のものか、医療ミスなのか、犯罪なのか、仕分けを自ら行うべきなのである。

毎日新聞 時代の風 2005.10.30
霞が関による課題提示
医療制度危機は本当か
日本は、少ない医療費で世界最高の長寿国を実現させている。その医療費はGDP ( 国内総生産 ) の7.9% ( 02 年 ) に収まっており、先進国ではイギリス ( 7.7%R ) に次ぐ低い水準である。第 2 位の長寿国アイスランドの人口は 27 万人、続く北欧諸国は数百万人であり、東京都よりも小さい。1 億 2000 万人が丸ごと最長寿命を保証されている日本は、史上類をみない保健政策上の大成功例である。
なぜこんなことが実現できたのか。その理由は、日本社会そのものが安全であり、食生活のバランスが良く、医療部門に人材が集まっている、などさまざまだが、国民皆保険を保持しているのも大きな要因である。国民皆保険のおかげで収入とは無関係に、誰もが、いつでも、どこでも平等な医療サービスを受けることができる。
.....
霞が関を信用すべきではない最たる例が、20 年後の医療費が 69 兆円になるという厚生労働省の予測である。交通量や水需要の予測で経験済みなのだが、官僚は需要予測を過大に見積もるものなのだ。この数字はまだましな方で、旧厚生省は 94 年時点で 141 兆円と予測していた。
国家財政が破綻しているから医療費を削れという、財務省の言い方も問題である。そもそも国家財政の巨額赤字は、バブルを引き起こし、その後の不況対策で効かない公共投資で橋や道路の予算を先食いし、国家運営に失敗した旧大蔵省の責任である。

明日の裁判所を考える懇談会(第13回)協議内容
http://www.courts.go.jp/saikosai/about/iinkai/asu_kondan/asu_kyogi13.html
平成16年7月26日
西洋近代社会は,ラーニッド・プロフェッション(学問的な専門職)という,特別な専門学校を出たり教育を受けて国家資格を取得した者から成る,強制参加の自治組織をもつ,ギルドを3つ育んできた。1つ目は神父,2つ目は法律家(弁護士),3つ目がメディカルプロフェッション(医療専門職)である。ちょうど日本の弁護士がそうであるが,弁護士業を開業するためには,弁護士法に規定されている弁護士会の会員にならなければならない。また,弁護士は,非行が疑われただけで,通常の司法手続とは別に,それよりはるか以前に,プロフェッションとしての綱紀委員会にかけられることになる。この体制が弁護士の特権と弁護士自治,そしてここから由来する強い自己統制を生み出し,職業ルールを守らせる制度的な担保にもなっている。ヨーロッパの場合,医療にもこれとほぼ同様の仕組みがあるのが普通である。一方,日本の場合,医師法には医師会の規定がなく,その結果,医師という職能集団の自己統治組織がない。なぜこれがないかという理由はよく分かっていない。戦前は強制参加の組織があったが,戦後GHQも特に示唆することなく結局今日まで来ている。どうも当時の厚生省が医籍を管理したかったというのが理由のようであるが,証拠は残っていない。つまり多くの国には最低限の職業倫理を守らせる強制参加の身分制度があり,日本の弁護士会のように,あまりひどい非行があると除名になるため,事実上医業が開業できなくなる。こういう議論をすると,日本には医道審議会があるではないかと指摘がすぐされるが,これは厚労省が医療行政の権限の枠内で処分を出す機関である。厚労省の権限下にある医療費の不正請求の場合と,刑事罰が確定した医師に対して後追い的に行政処分を行う機関である。刑が確定していない医師,あるいは何度も失敗を犯す医師に対する医道審議会の判断基準を強化せよという意見もある。しかしそうなると厚生労働大臣が医師の生殺与奪権を握ることになる。私としては,たまたま私が最高裁の下級裁判所裁判官指名諮問委員会の委員として裁判官の指名の適否について審議させていただいて実感したのだが,これに似た医師資格を審査する独立の第三者機関を作ってここで審査し,医療行政からは引き離すべきだと考えている。究極的には医師法の改正が必要であるが,そのような大きな法改正は簡単ではないので,その第一歩として医道審議会を厚労省の一部門から引き離すべきだというのが私の意見である。
世界的にも,大体1960年代までは個々の医師が医の権威を体現し,その裁量で医療方針を決定してきたが,1970年頃から医療現場が複雑になり,これに合わせて,プロフェッションとして中央でマニュアル作りが盛んになる。そのとおりにやっていれば仮に損害賠償請求を受けたとしても少なくとも学会のスタンダードに従っているという形になった。その意味では後ろ向きの動機ではあるが医療の品質管理をプロフェッションがやるということが始まる。諸外国ではプロフェッションとしての統治機能があるので,その内部で個別専門学会が決めるガイドラインは一応守られる担保がある。すなわち,学会のガイドラインを確信犯的に破ると職業倫理違反に当たるので,間接的に担保できる。また,それ以外に臨床研究の場合は研究費を助成する機関がガイドラインを守らなければ研究費を出さないということで,守らせる強制力となる。
一方,日本の場合は例えば,私は日本産科婦人科学会の諮問組織である倫理審議会の委員長の立場にあるが,現状では,強制力がない学会見解を確信犯的に破る会員医師が出てきてもこれに対処する手段はほとんどない。また,日産婦は2年ごとに役員が交代するため先輩が決めたことをなかなか覆せず,技術の進歩に合わせて学会見解を改めろという問題提起が機能しにくい。もともと学会というのは学術親睦団体であり,学会除名も会費未納2年以上という事由以外になかったにも関わらず,社会の側から専門集団として,技術や倫理的な判断の監督責任が,自己統治能力があるものという前提で追求されるようになってきた。そのため除名の規定を変えて,倫理規約を破った医師を会費未納以外の理由で除名することをやらざるを得なくなった。つまり,法的根拠がないのに社会的期待として技術のコントロールをやらされつつあり,学会の方はこれに耐えていかなくてはならない。それを日産婦が国に頼りだしたことは私は問題だと思っている。
以上のように日本では医療職能集団の自己統治の法的根拠はないのだが,あたかもそれがあるかのように振る舞ってきた。この形を定着させたのが,武見太郎という人物である。武見はもともと慶応の医学部に在籍していたが,封建的な医局人事を嫌って外に飛び出し,理化学研究所で研究を続けた。戦後は銀座で開業し,第2代目の日本医師会長になった人物である。彼は日本の医学界の封建的な体質を,身をもって知っていたため,「学界は触らない。しかし日本の医療行政は全部自分の手中に権限を入れ,自分が決めないとだめだ」と考えたようである。「ケンカ太郎」,「欲張り村の村長」と呼ばれるようなイメージは確かにあるが,武見太郎は国士だったと私は思っている。「武見ブレーン」と呼ばれる100人近い一級の研究者をまとめて医療政策を研究させ,厚生省を批判して,日本の医療行政のバランスをとっていた。武見の一番の功績は,国民皆保険を実現したことである。その結果,日本の医療は所得に関係なく共通の医療給付ができることになった。武見は法華経の熱心な信者で,2人きりで会うと大変な好々爺であったが,3人以上で会うと非常に強権的になった。それは,世間に対して高圧的に出て,自分のもとに決定権を集中させないとだめだと思ってとった戦略であったのであろう。東大の公衆衛生学の権威である薗田恭一先生が当時の医師会の図書室に偶然入ったところ,東大でも買えないような本が全部並んでいたらしい。「これはどなたがお買いになったんですか」と聞いたら,「武見本人が買いました」と言われたとのことである。武見は目次を見ただけで直観的に本の内容が理解できたらしく,本当に自らが勉強していた。武見は1982年に引退するが,医療職能集団としての自己統治機能をどうすべきかについて,ヒントを一切残さないまま辞めたため,武見が持っていたさまざまな決定権限は,80年代,90年代を通して厚生省の医療行政に移った。その結果,医療職能集団としての独立性の立場から,どういう医療技術を採るか,また採らないかという本来職能集団全体で決めるべきことまで国が決めて当然という考え方が広まった。役所は国家予算の都合を考えて医療行政を策定するが,国の予算の都合とは別に国民の生命を守るという価値を断固主張する医療職能集団が在るべきだ。それまでも厚生省が決めてくれなければ何もできないような気分になっており,武見に対する依頼心が厚生省に渡っただけ,に近い。もちろん武見にも功罪がある。罪の方は,医学や医療の専門性を社会から隔絶して高い地位に置き「医学部を卒業しない連中に医療が分かるか!」と脅しに近い態度で医療と医療以外との垣根を必要以上に高くしたことである。このため,医療の閉鎖性と学閥,それから縦割り学問の専門性がつい最近まで残ったことである。「そもそも医療を裁判に持ち込むことが無礼なことであって,裁判に持ち込んだ側に協力する医師はとんでもないやつ」という風潮が最近まであったわけで,鑑定人が見つけにくいのは武見時代の残響だと私は思う。
ところが,さすがに90年代末になると修正の動きが出てきた。本来,学会は学術研究を目的とした集まりなのだが,近年は倫理問題への対処や医療技術の管理まで求められるようになったため,学会会則には職能集団としての懲罰規定はなく,除名は会費未納などを念頭に置いたものなのだが,これが職能集団の規律維持のための機能を担い始めている。最近は学会自身が鑑定を引き受けることが始まっており,専門職能として相互監視と相互評価が不可欠であるという認識が広まってきている。医師の裁量権でやってきた部分をこれに代えて,医療の現代化に伴って,医療サービスの品質管理を社会に対して保障する機能を意識し始め,これも医師の自己統治の一部であると認識し始めている。そういう意味で,ピアレビュー(相互評価)は医師の特権を維持すると同時に自分たちの責任としてすべきことであると,日本の学界も意識し始めている。例えば,泌尿器系学会の日本EE学会が今年初め,昭和大藤が丘病院の事故は「明らかなミス」とする鑑定書を作成するところまできた。これがさらにもう少し拡大し,最近では内科学会,外科学会,病理学会,法医学会の4団体が,医療ミスがあったか否かを検証する独立の第三者組織を創設すべく,4学会合同のワーキンググループを作っている。ここは,医療裁判のためというよりはむしろそこにいく手前で,通常ではないことが起こった場合に,専門的な立場から評価し見解を出すことを目的としている。医療は現業部門であるためやってみなければ分からない部分があり,例えば患者の昨日の状態と今の状態は違ってくる。プロフェッションとは本来その不確実性をコントロールすべき集団なのだ。だから,通常の医療行為で行われたことについてそれが不可抗力的な不規則現象であるのか,ミスであるのか,犯罪であるのか,技術不足であるのかは,第一義的にはプロフェッションとして判定し仕分けすべきなのである。特に患者が死亡したような場合には,その審査の結果,関係者が処分されるべきだという結論になる場合があることは仕方がない。要するに,最初の評価と仕分けはプロフェッションが何らかの見解を出すこととし,これまでのように医療裁判はとにかく時間がかかるのは当たり前というような認識は改めようという動きが起こっている。言い換えると,医療職能集団としての自己統治のための制度が日本は整っていないのであり,この無理が裁判所にかかってきているのだと思う。
裁判所とは別個に,一番大きな内科学会,外科学会,病理学会,それから異常死があった場合これを直接扱う法医学会の4学会が合同で,不審死があった場合第一次的に検証を行う専門機関を立ち上げようとしている。これには法的根拠はないが,法律の有無は別にしてそういう制度が実際上動けば,とりあえず社会として不都合はなくなる。私は,12年前に脳死臨調の参与として慎重派の少数意見を答申に書き込んだ立場から見ると,ここで,生殖技術に関して日本で本格的な議論をするためのテーブルを持つべきタイミングに来ているのだろう。そうすれば制度論も議論されることになる。日本の医療に対する批判は少なくないが,全体としては良い方向に行っていると思う。ただ,個々人の非常な改革努力に頼っているが,この個別の努力が「合成の誤謬」となって全体が誤った方向に行かないよう,社会全体の視点から見守っていくことが重要である。
医療制度という点では,アメリカは先進国としては異質で,基本的に先進国であれば,ヨーロッパのように福祉国家を確立させ医療が公的給付であることが普通で,このような体制であれば,医療職能集団としての自己統治機能はかなり効いている。その自己統治機能としての最初のスクリーニングにおいて「これはいくらなんでも犯罪だ」というケースはおのずと明らかになるものである。そういう意味で日本としてはヨーロッパ型の医療職能集団の自己統治機能を打ちたてながら,それとは別立てで司法救済という,現在の裁判制度をうまく機能させていく方向に持っていくのが理想的だと思う。今,関係者の個人的努力で,少しずつ基本的な図柄が見えてきたところではないか。

-----

参考リンク

明日の裁判所を考える懇談会 ( 第 13 回 ) 協議内容 http://www.courts.go.jp/saikosai/about/iinkai/asu_kondan/asu_kyogi13.html
明日の裁判所を考える懇談会 ( 第 13 回 ) 配布資料 http://www.courts.go.jp/saikosai/about/iinkai/asu_kondan/asu_siryo13/index.html
資料1 専門訴訟−審理に専門的知見を要する民事訴訟−
資料2 医事関係訴訟事件の新受・既済件数及び平均審理期間
資料3 地裁民事第一審通常訴訟事件の新受・既済件数及び平均審理期間
資料4 医事関係訴訟事件の診療科目別割合
資料5 医事関係訴訟事件の医療類型別係属事件割合
資料6 医事関係訴訟事件及び地裁民事第一審通常訴訟事件における鑑定の実施状況
資料7 医事関係訴訟事件の終局区分別既済件数の割合
資料8 証拠保全
資料9 医事関係訴訟事件における訴えの提起前の証拠保全の実施状況
資料11 医事関係訴訟委員会(イメージ図)
資料12 医学的判断と法的判断の関係が問題となる事例

----------

以下、参考資料

米本昌平科学技術文明研究所長資料 http://sword.txt-nifty.com/library/2006/10/post_db84.html

過去記事

国民皆保険 3 / 心ある人 http://sword.txt-nifty.com/guideboard/2006/05/_3__5d03_3.html
医療制度危機は本当か http://sword.txt-nifty.com/library/2006/04/post_a1aa.html

道標主人 | 2006-10-31 23:26 | 医療、社会保障, 経済・政治・国際 | | コメント (0) | トラックバック (0) | Top

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/168069/12507091

この記事へのトラックバック一覧です: 心ある人 6:

コメント

コメントを書く